豆苗

豆苗を飼い始めた。

先日スーパーで、初めて豆苗の存在を認識した。豆苗という植物、野菜の存在は一人暮らしを始めてから知るようになったものの、食べたことはなかったし、興味を持つこともなかった。見かけたことはきっとこれまでもあったのだろうけど、それを豆苗と認識したのは生まれて初めてだった。
ああ、これが豆苗…凪のお暇で見たやつ。

豆苗はすっくと豆から伸びており、根っこは白く美しく四角におさまっている。その姿ごと包まれたパッケージには、サラダ、炒め物、お鍋に、と書いてある。サラダ、炒め物、お鍋って、つまりどうにでもできるということか。あの万能選手筆頭のもやしだってサッとでも火を通さなければ食べられないというのに、豆苗は生でも食べられるという。そして、ビタミンE、βカロテンなどの栄養素も豊富に含まれるらしい。しかも、なんと、食べたあともお部屋で再度栽培できるらしい。

よく見ると、豆苗は人気者だらけの野菜コーナーの中でも大きめの山を築いていた。初めて認識したとは言え、たしかに、こんな素敵な存在を民衆が放っておくはずがないと思えるステータスである。こうなると、味が気になってくる。これで美味しかったらもう、買わない理由の方が見つからない。なんか癖がなさそう。普通に美味しそう。豆苗への好感度はとっくに上限を超えている。気が付いたらカゴに入っていて、そのままお会計に向かっていた。

その後、豆苗は冷蔵庫で5日過ごすことになる。いや、ビックリしたと思う。自分に一目惚れした人間に買われて、その日のうちに食べてもらえないどころかまさか5日も放置されるだなんて、人気者の豆苗にとっては前代未聞の仕打ちだったかもしれない。購入から5日経った日曜日、ついに人間は豆苗の存在を思い出した。申し訳ないことをした。まだ生きているだろうか… そら恐ろしい気持ちで祈るように豆苗の脈拍を確認したところ、生きているを超えてぱりっと元気なあの日の姿でそこにいた。パッケージには、鮮度を保つ特殊なフィルムが使用されていると記載されている。それにしても元気である。恐る恐る半分ほど根本から切って、しっかりめに水で洗浄し、念のため火を通して食べてみた。それがなんとも、まあ、美味しかったのである。

普段からあまり食べ物の新鮮さにこだわっていないため、収穫したての豆苗のフレッシュな味はあまりにも舌に眩しかった。うわあーーー、新鮮な野菜、美味しい〜〜〜……!!勢いづいて、残りの豆苗もカットして、今度は生で食べてみる。おお、さっきよりも味が深い。シャキシャキで楽しい。久方ぶりに、食べる幸せを思い出した。

そして今、豆苗は、水を張ったタッパーに浮かべられている。今日と明日も1週間後も特に変わらない、境界の曖昧な日々を送っていたけど、明日からは毎日豆苗が伸びる。明確に意味のある日々である。ありがとう豆苗、食べてから常温で放置してたら一気にしなっとしててちょっと気が気じゃないけど、今の私ならきっとちゃんと毎日水を替えるからこれから元気になってくれるといいんだけど。

しばらく豆苗と住む。

玉子が好物

 カルディで、味付きのうずらのゆで卵(真空パックになっているもの)の徳入りを買った。私は玉子、鶏卵及びうずらの卵が大好物である。文字にすると、食用とは言え他の生物の卵、生命をいただいているという事実を改めて強く意識するけれど、既にお店に並んでいるものならせめて美味しくいただくのが供養というもの。

 話を戻す。特に目玉焼き、茹で卵を好んでいる。玉子はスーパーでもコンビニでも安く手に入り、その割に栄養価はとても高く、しかも美味しいのである。一人暮らしを始める際、家で唯一の一人暮らし経験者だった父も玉子を1日ひとつ食べていれば死なないよ、と言っていた。父の3つのアドバイスのうちのひとつである(真偽のほどは保証されていない)。もう2つは金がないならもやしを買うといい、…あとひとつは忘れてしまった。

 閑話休題(多い)。学生時代、長期バイトが決まらず、一つ前の短期バイトの給料が尽きてしまい、仕送りが入るまでの1週間ほどを1000円で乗り切らなければならなくなったことがあった。あと1日で乗り切れる、というある日、なんと玉子が切れてしまった。そして財布にはもう、100円も残っていなかったのである。ああ、これまでの自分の行動を思い出して後悔する。あの時に乗ったバス代が、ちょっと飲みたかっただけのジュース代が、今ここにあれば、玉子が、命をつなぐものが買えたのに……。結果的に私は死ななかった。幸い米はあったし、パスタもあった。

 あれから8年経った今ではまともな仕事に恵まれて、もう衣食住に困ることはない。それでも、あの日のことを何度でも思い出してしまうのだ。仕事で嫌なことがあっても、あれほどの絶望を覚えることはついぞない。そして今日も、うずらのゆで卵を手に取りながら、食べながら、思う。

それはつまり間違いなく、結局この今が幸せであると、そういうことなのだ。と。

暑くて暑くて

眠れない!

布団をかぶったところで眠気は来ない。むしろさらに暑くて、眠気が去る。もう布団の上にいるだけで暑い。布団が熱い。

眠れないといつまでもいつまでも、考えてもどうしようもない、生産的でも何でもない、しょうもないことばかり延々と考えてしまう。
ただ、幸いにも現在の私はわりかし幸福であり、悩み事も一つ程度しかなく、それも解決に向かっており、つまり何が言いたいかというと眠れないせいで大好きな人たちのことばかり考えてしまっていろいろな人への感謝が止まらないし幸運に恵まれたことを噛みしめてしまうし部屋で一人でにやにやしてるしで全然落ち着かないです。たぶん眠れない理由は暑さよりこれです。でも暑いから眠気が来ないから考え続けてるんだよなあ、考えてるから眠れないよなあ、暑いなあ、、エンドレスループって怖くね?

いつまでもにやにやしているのも馬鹿みたいなので(※俯瞰的視点からの意見です)寝る努力をする努力をする。ねむろう。明日はあの子と出かけるよー(よし寝よう)

二転三転

ただ今大変面白いブログ記事に出会い、そういえばブログの記事なるものを久しく書いていないな、ということに、久方ぶりに気が付いてしまった。書きたくなったら書く、誰が見ているわけでもないのに、むしろないと思うからこそ書ける、それが出来るのがブログの良いところだと思います。まあ、インターネットの海の上で広く公開している以上、誰が見ているわけでもないというのはただの気のせいであり事実と反することであるのだけれども。気のせいでもそれがモチベーションに繋がるのであれば放っておくのがよろしいかと(公共の福祉に反しない限りは)。ということでつれづれ。

・・・・・・・・・・・・・

いろいろな、本当にいろいろなことに決着を付けて、春から無事に公務員として働いている。高校3年間を人生の春とするなら大学4年間は秋だった。実りの秋。修行の秋。親からもらった丈夫な体と楽天的な精神とそこそこ使いやすい脳みそをフル活用して適当に、好きに、楽に生きてきたそれまでの人生のツケを払った期間であり、様々なことに挑戦の種を撒いては苦い思いをしてどうにか水を遣り、遂には経験という酸っぱい果実を得た、そんな期間でもあった。どんなに酸っぱくたって、活かす知恵さえあれば何かの役には立つのだ。知恵だって、今はなくともいつか手に入れれば良いのだ。まあ、甘い果実であれば知恵をもって加工せずとも美味しいのだから、選べるのであれば甘い方が良いのだけども。酸い甘いは結果論であるので、始める前から気にしてもどうしようもない。いつかまた、甘いのに出会えたらいいなあ。そのためにはまた、こつこつと、挑戦の種を撒くほかないんだよなあ。頑張ろう。

・・・・・・・・・・・・・

憧れの先輩がいる。先輩の教えにはいつも「さらにこうすると親切だよ」のおまけがついてくる。そのおまけが有用かつ心温まるものであるため、それを聞きたいがためにいつも同じ先輩に尋ねてしまう。先輩のような、気配りの鬼になりたいが、今はまずその前にやるべきことが山積みなのである。と、いつまでも思っていないで、平行して自分にできる「親切なこと」を探すべきである。先輩が好きで好きでどうしようもなくて明日も仕事が少し楽しみなくらいなので私の頭はおめでたすぎる。甘いものをもらって子どものように喜ぶ先輩の無邪気な笑顔が忘れられない。天使かなにかかーー!現場からは以上です!

・・・・・・・・・・・・・

12時過ぎたので寝よう。
明日も何事もなく1日過ごせますように。
願わくば少しは良いことがありますように。アーメン。

いろーんな

お話をしたそんな夜。仲の良い、お友だちと管を巻く夜も楽しいものだけど、わかりやすく得たものがある夜にはやはり代えがたい。

・・・・・・・・・・・・・・

文字にしたくなるような出来事がなかったとか、そういうわけではないのだけど、残すほどでもないような、まあつまりは大きな事件も事故もなくこの1年が過ぎたと、そういうことなのだと思います。何もなかったわけではない、けども!そりゃそうだ。

志望先が公務員ということで、勉強せなならん。本命の試験が1ヶ月先にある。洒落にならん。アルバイトをしている場合ではない。寝不足で昼寝してる場合でもない。ましてや部活なんてしていられるはずもない。私は、何を、しているんだ……と、思っている暇があるならその時間でやることをやれと、つまりそういうことです。
バイト先に私しかバイトがいないのほんとスリルショックサスペンスですね…この時期でさえなければ、良いのだけど、、、本当に。

人を使って団体を率いるには何事も見通しが甘くて、人を物を見捨てられなくて、使われるには仕事が遅くて、かといって単純作業が好きなわけではなく、しかし人の役に立ちたい。のであれば、自分を磨きあげるしかあるまい。

グレー

決着着いたようで着いてないそんな気しかしない。

口にしてしまったが最後白黒つけるしかないのだ、あの日のように横を歩ける日はもう来ないのだ、こんなことなら言うのじゃなかった、というようなことを延々と悶々と考えていた私の5日間を嘲笑うかのように驚くほどすんなりと日常は戻ってきました。得たものも多いから一概には言えないけどあの苦悩を返せと言いたくなるほどすんなりと。
魔の5日間に突入する前の日にあんなことがあったというのも原因の一端ではあるけどもやはり会えない期間にマイナス方面のことを考え始めると歯止めがきかないからやめるべきだというのは経験上の事実なのだと!なんど言ったら!

あの日から会えるまでの間ほんとうにしにそうだった。なぜ私は同時に2人の友人を失おうとしているのか。タイミングが悪すぎるだろう。と。せめて色々と終えてからにすれば。と。ぐるぐるぐるぐる考えた。

言ってみてやっとわかったことがひとつ。男とか女とか恋人友人にこだわりなく私はあの人を必要としている節がある。話せなくなるくらいなら肩書きなんていらないや。横で笑っていられたらそれで良いです。悔しいけどやっぱり好きだよ大好きだよこれからもよろしく。

パトリシアに憧れる。

ももん

いい加減決着をつけたいと言い始めてもう幾月。日本語はこんなにも豊かなのになぜ友人と恋人の狭間にいるふたりを表現する言葉が存在しないのか。友達以上恋人未満とでも言えば良いのか。でもなんか違う。

悶々期を過ぎてからはただただ好きで意味がわからない。某ヒロミゴーが会えない時間が〜って歌っていたけどちょっとわかった気がしてまた悔しい。毎日会えるって良いなあ。おかげで5日会えないともう耐えがたい。贅沢言ってられるのも今のうちだとのお言葉が奈良から聞こえてきそうで(゜▽゜)遠恋はできそうにないです。

一人暮らしはしたいけどしたい理由がなんとも言えず(邪心)

んー まとまらん 悶々
とりあえずレポート書き上げよう(そうしよう