玉子が好物

 カルディで、味付きのうずらのゆで卵(真空パックになっているもの)の徳入りを買った。私は玉子、鶏卵及びうずらの卵が大好物である。文字にすると、食用とは言え他の生物の卵、生命をいただいているという事実を改めて強く意識するけれど、既にお店に並んでいるものならせめて美味しくいただくのが供養というもの。

 話を戻す。特に目玉焼き、茹で卵を好んでいる。玉子はスーパーでもコンビニでも安く手に入り、その割に栄養価はとても高く、しかも美味しいのである。一人暮らしを始める際、家で唯一の一人暮らし経験者だった父も玉子を1日ひとつ食べていれば死なないよ、と言っていた。父の3つのアドバイスのうちのひとつである(真偽のほどは保証されていない)。もう2つは金がないならもやしを買うといい、…あとひとつは忘れてしまった。

 閑話休題(多い)。学生時代、長期バイトが決まらず、一つ前の短期バイトの給料が尽きてしまい、仕送りが入るまでの1週間ほどを1000円で乗り切らなければならなくなったことがあった。あと1日で乗り切れる、というある日、なんと玉子が切れてしまった。そして財布にはもう、100円も残っていなかったのである。ああ、これまでの自分の行動を思い出して後悔する。あの時に乗ったバス代が、ちょっと飲みたかっただけのジュース代が、今ここにあれば、玉子が、命をつなぐものが買えたのに……。結果的に私は死ななかった。幸い米はあったし、パスタもあった。

 あれから8年経った今ではまともな仕事に恵まれて、もう衣食住に困ることはない。それでも、あの日のことを何度でも思い出してしまうのだ。仕事で嫌なことがあっても、あれほどの絶望を覚えることはついぞない。そして今日も、うずらのゆで卵を手に取りながら、食べながら、思う。

それはつまり間違いなく、結局この今が幸せであると、そういうことなのだ。と。